おおむね何もやりたくない

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貴様ら何時まで小児性愛者を別枠扱いするつもりか問題

先日、渋谷区で同性愛者向けに「結婚に相当する関係」を証明する証明書を発行するなんてセンセーショナルなニュースがありました。
このニュースについてもいろいろ語ってみたいことはあるのですが、今回はちょっと別話。

 

同性愛は社会的にだいぶ認められてきている

同性愛は異常なものなどでは断じてなく、病気ではないし、ましてや同性愛を理由に差別なんてとんでもない!
って社会的なコンセンサスは、ここ日本ではすでに得られていると思います。
冒頭で紹介したニュースなんかはそのコンセンサスを社会が実現しようとしている好例ではないでしょうか。
例え発言者が仲間由紀恵であろうとも、「同性愛なんて気持ち悪い!逮捕しちゃうぞ☆」なんて発言をしようもんなら、もう大変。
義憤にかられた善良なる市民たちの言葉によって社会的にぎったんぎったんのぼっこぼこ(この表現なんか好き)にされることはもう火を見るより明らかでしょう。
刃牙の本部が範馬勇次郎に勝てる見込みがないくらい明らか。
現代日本は同性愛に対して(建前だけでも)寛容な社会になってきていると思います。

 

翻ってペドフィリアはどうだろう


ここでタイトルにも書いた小児性愛者について考えてみます。ロリコンショタコンと呼称した方がよりキャッチーでしょうか。
僕は「性的欲求を抱く対象がマジョリティとは違う」という意味では同性愛者も小児性愛者も同じであり、同性愛者も小児性愛者も差別されない社会のほうが良いと考えています。
さてさて、仲間由紀恵が「ロリコンなんて気持ち悪い!逮捕しちゃうぞ☆」という爆裂トークを展開したとして、世間の反応はどうなるでしょうか。
ネットでは結構な数の人が怒りを燃やし、仲間由紀恵を断罪すべきだ!とアジテートするんであろうことは想像できますが、
ネット以外のメディア、TVやラジオなんかではそれほど大きな反応は見られないと思います。あったとしても同性愛の発言よりは随分と少ない数の批判でしょう
これでは「ぼくのかんがえるりそうのしゃかい」から剥離してしまっている。差別問題を論じるときに同性愛と小児性愛者の扱いに差をつけたくはない。

ここまで長々と書きましたが、「同性愛者が差別されるべきでないのならば、同じく小児性愛者も差別されるべきでない」
という論について語ってみようというお話です。ちなみに同じような発想で議論してる人ってのはすでに結構いまして、ちょっとググれば簡単に見つかると思います。

 

議論を整理してみる

まずどんな性的欲求だろうと「内心の自由は認められるべきである、というのはかなりの方に合意してもらえるかと思います。
例え殺人性愛者だろうが、行為に及ばないし殺人性愛者であることを喧伝さえしなければOKって考え。
これは前提とするとして、まず同性愛と比較して小児性愛が許されない理由としてよく言われる主張。
・同性愛は双方の合意による対等な関係を築きうるが、小児性愛においてそれはあり得ない(児童の判断能力を認めない)
・現代日本の法律的に児童と性行為、またはそれに類することを成人が行うのは犯罪である。(淫行条例)
・上記の理由から、小児性愛者でありその欲求を喧伝する行為は、犯罪行為がしたいと喧伝することと同じであり、脅迫である。
 (レイプがしたいと宣伝してるようなものだっていう人も見かけたことがある。)

これについてよくある反論。
・児童って言ったって、それなりの年齢(10代後半とか)になれば十分な判断能力を持ってるし、大人と同等に扱うべきだ。
・法律的にNGだからってのを理由とするのは危険である。法律が絶対的に正しいというわけではない。
 それを言うなら同性愛が違法な国だっていっぱいあるではないか。
小児性愛者の性欲の解消=犯罪というのは短絡的である。性欲の解消に際し、実在する人間が介在しない場合もある(二次元の画像・漫画・アニメ・文章等々)


論点を整理すると、
①児童に判断能力を認めるべきか否か(認めるなら何歳から認めるべきか)
小児性愛を喧伝する行為は自粛すべきか
③実在する人間が介在しない場合の小児性愛は許されるべきか

この手の議論ってでよく陥りがちだと思うのが、片方が法律的にダメだからダメ、って主張をしていて、
それに対する反論が法律は置いといて倫理的にどうすべきかを考えるべきだって主張をして、議論がすれ違ってわけがわからなくなるという現象。
この混乱を避けるため、ここでは現行法でどうなのかってことは置いておくこととします。今どうなのかじゃなくてどうあって欲しいかという話をしたいのです。

 

そんで各論点に関する自分の意見。


①児童に判断能力を認めるべきか否か(認めるなら何歳から認めるべきか)

十分な判断能力はどれくらいの年齢から備わるかってのは各々の感覚によってしまうとこが大きいと思います。
個人差もありますし、十分な判断能力として想定するものも個々人で違いそうです。
他の法律との兼ね合いも関係してくるとは思うのですがその変異は疎いのであんまり触れないでおきます。
自分の何となくな意見としては、刑法上の責任能力が認められる15歳くらいから認めるのが良いんじゃないのかなーと思ってます
この辺りは法律的な話を放棄しちゃうともう何となくな主観で語る以外に術がないんじゃないかって気がする。

小児性愛を喧伝する行為は自粛すべきか

現代日本では、性的なものが公に陳列されているのを忌避する人が多いので、「自主的に」ゾーニングするくらいが適当なのかなと思います。
ただし、異性愛、同性愛、全部ひっくるめて。ここで小児性愛だけ特別視する意味も根拠も無いと考えます。
でも、個人的な理想は性的なものを忌避する風習がなくなってゾーニングする必要もなくなったらいいなーなんて思ってます。
性的なものだけじゃなく、グロテスクなものとかも、「忌避する感情」がなくなれば問題ないですからね。(もちろん被害者はいないものとして)
何を忌避するかは先天的なものもありそうですし、甘々の理想論ではあるのですが。

③実在する人間が介在しない場合の小児性愛は許されるべきか
これは許されるべきだと思っています。どんなものであれ、実在の人間を物理的に害するものでなければ存在は許したい。
小児性愛の著作物の場合は直接被害を被る対象がいないのでOKと考えます。
本当なら今の倫理的に許されないであろう著作物(たとえば人種差別的なものとかね)も存在は許したいのですが
ダイレクトに被害を被る人がいるんですよねー。表現の自由って難しい。

 

とまあごちゃごちゃと主観丸出しの駄文を書き連ねてみたわけですけれども。
ご覧の通り全然整理されてないし建設的でもないし過去の議論を焼き増しして書いてるだけじゃないかと言われれば
そうですごめんなさい許してくださいと哀願するしか無いような代物ですが、見ての通り自分の考えも全然整理できてなくて
建設的なことも考えれてなくて過去の議論の焼き増しの域を出れてないので、異論反論その他もろもろがあれば
容赦なく突っ込みまくってくれるとうれしいです。やさしく突っ込んでくれるとなおのこと嬉しいです。

 

将来の夢とお願い

 

自分の将来の夢の一つに、周囲には私Mだからーなんて言っている控えめな女の子に踏んでくださいと頼みこんで、
女の子は無理、恥ずかしくてそんなのできないって顔を赤くして断ってくるんだけど、その態度から実はあんまり嫌がっていないだろうなっていうのが
透けて見えていて、それを察した僕が熱心に頼み込んでついには彼女も折れて僕を踏んでくれる段になるわけだけれども、
いざ実行に移すと赤面しながらも彼女は実はノリノリで真っ赤になりながらなかなか踏むのをやめてくれないというシチュエーション
体験したいというのがあるので、そういうニュアンスを目指して突っ込んでくれるとベストです。待ってます。

 

 

 大好きなSFコメディシリーズ、銀河ヒッチハイク・ガイド。本文には一切関係しておりませんが、2巻目の「宇宙の果てのレストラン」は個人的にダグラスアダムス最高傑作だと思ってます。ニヤニヤしたい人は是非是非読みましょう。いつか感想書こう。

宇宙の果てのレストラン (河出文庫)

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