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世界をより良くするために、ズッコケ三人組について語る(主に「ズッコケ文化祭事件」とそのパターナリズムについて)

 ふと、もうちょっとみんな「世界をより良くしよう」みたいなことを考えてもいいのでは?という不満を抱いた。他人に不満を抱く前にまず自分が実践しようとおもったので、ズッコケ三人組について語ろうと思う。ズッコケ三人組について語ると世界がより良くなるのは自明のことなので。

 語るまでもないと思うが、「ズッコケ三人組」は那須正幹作の児童文学作品である。小学6年生(たまに5年生)の、小柄で色黒、頭は悪いが運動神経抜群で行動力の塊な「ハチベエ」、読書の虫で博識だがプレッシャーに弱くてテストの成績は悪い「ハカセ」、気弱な巨漢だが優しくて人懐っこい「モーちゃん」の仲良し三人組が、株式会社を設立してみたりタイムスリップしてみたり親の離婚で疎遠になった父親に邪険に扱われたり、はたまた修学旅行を楽しむだけだったりする幅広な作風で、50巻も刊行された大ベストセラーシリーズである。大人向けの続編として「ズッコケ中年三人組」シリーズも刊行されている(2015年に完結済み)。

 残念ながら作者の那須先生は今年の7月に亡くなられたのだが、その訃報に先々月気づいたことがきっかけで、猛烈にズッコケ三人組を読み返したくなった。実家には何冊かあるはずなのだが、このコロナ騒ぎでいつ帰省できるとも知らないため、「ズッコケ文化祭事件」の電子書籍を購入した。シリーズを熱心に読んでいた小学生の頃も文体が大人っぽいところを気に入っていたのだが、改めて読んでみると、ちょっと表現が平易なことを除けば想像以上に一般的な娯楽小説と変わりない内容だった。何より、その「子供を舐めていない」姿勢が想像以上のものだったことに衝撃を受けた。児童書籍ゆえに文章量こそ少ないものの、大人が読んでも十二分に楽しめる内容であるため軽い短編を読みたい人や徳を積みたい人は買うべきである。今回紹介する「ズッコケ文化祭事件」のほか、「花のズッコケ児童会長」「うわさのズッコケ株式会社」「ズッコケ結婚相談所」「参上!ズッコケ忍者軍団」あたりが特におすすめ。

 以下、「ズッコケ文化祭事件」の感想。数十年前に刊行された作品のためネタバレは一切気にせずに書く。ネタバレが気になる人は買って、読んで、世界をより良くしてから以下の文章を読んでほしい。

 

 まずあらすじ。

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 文化祭で創作劇をやることになった3人組のクラス。とにかく目立ちたいハチベエは、実家の八百屋に客として出入りする市内唯一の文化人にして児童作家である新谷さんに脚本を依頼し、あわよくば自分をいい役につけてもらおうと画策する。クラスメイトの賛同も得て新谷さんに脚本を書いてもらうことに成功するも、その脚本「トンカチ山の大魔王」の内容は幼児向けの童話チックな内容で小学6年生の劇としてはあまりにも幼稚であった。案の定クラス内では大不評。相談の結果3人組のクラスは、「トンカチ山の大魔王」を原型をとどめないほどに改変した「アタック3」(内容は暴力団との抗争劇)を上演する運びとなった。「アタック3」は本番で大成功を収めるも、自分の書いた脚本を無断で跡形もなく改変された新谷さんは激昂する。そんな新谷さんの家に3人組の所属するクラスの担任、タクワンこと宅和先生が謝罪しに向かう・・・

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 「ズッコケ文化祭事件」はシリーズでも異色の作品である。なんだかんだシリーズのほとんどの作品では主人公の3人組が物語の中心となって活躍するのだが、本作では主人公と言うよりも狂言回しとしての側面が強い。脚本がらみの紆余曲折はあれど、彼らはごく普通に文化祭の劇にとりくんで、ごく普通に試行錯誤し、ごく普通に成功するだけである。

 ハチベエは「アタック3」でも敵の親玉役という美味しい役を演じることに成功するし、文化祭に興味のなかったハカセは徐々に裏方としての楽しみにのめりこんでいって大活躍する。モーちゃんに関しては本作ではただただ影が薄い。文化祭の劇に向けてクラス内でワイワイと取り組む描写は非常によく描かれており、そのあるある感も含めて大変楽しいのだけれども、明らかに3人組より焦点のあたっている人物が別にいる。その1人はもちろん児童作家の新谷さんだ。

 本作における新谷さんの描写は詳細で、そして非常に辛辣なものである。市内唯一の専業作家として華々しくデビューしたまではいいものの、その後はスランプに陥って数年間1冊の本も出せずに現在の生活は妻の収頼り。親切心で書いた劇脚本は小学生からボロクソに酷評される。自身の主催する童話サークルで自作品を批評されれば怒り狂い、実力も会員に追い越されて煙たがられているなんてゴシップも飛び出す。とにかくボロクソである。同期デビューした作家の本が平積みになっているのを見ながら、自分の現状を自嘲気味にハカセに語り掛けるシーンなんかは本当に可哀そうになってくる。

 そう、今作では明らかに読者が新谷さんに同情するように描かれている。栄光は遠い過去の話となり、現状は全然うまく言ってない。対して親しくもない子供の頼みに親切心を出してみれば、作家としての資質を全否定されるような形で裏切られる。私が小学生の時に読んだ時も、子供ながらに新谷さんに同情していたのははっきりと記憶している。そんな同情すべき新谷さんなので、もちろんその怒りにケリをつけないと物語は収まらない。じゃあそのケリをつけるのが誰かと言うと、もう一人の主要人物である宅和先生である。

 明らかに本作のクライマックスは、劇の内容に激昂した新谷さんの自宅に宅和先生が謝罪しにおもむく最終章「教師VS作家」である。ここで二人は酒を飲みながら教育論・児童文学論について喧々諤々とやりあって大喧嘩するのだけれど、これがもうめちゃくちゃ面白い。作者の持つ教育論・児童文学論の興味深さに加えて、いい大人が我を忘れて口喧嘩する様と言うのは見ていて単純に楽しいものがある。詳細はぜひ読んでほしいのだけれど、この喧嘩の中で開陳される、2人の大人(あるいは作者)が抱く子供への「パターナリスティックな甘やかし」とでもいうべき部分が面白かったので深堀したい。

 この二人、劇の無断改変という裏切りについて言い争いをするのだが、そこで問題視されるのは徹底して「宅和先生の管理責任」だけである。宅和先生が自分の責任を強調するのはともかくとして、新谷さんが糾弾するのもあくまで宅和先生のみだ。

 いいですか、あんたは、三つのあやまりをおかしているんだ。一つは、作者のことわりなしに原作を書きなおした。これは、わたしとあんたの信頼関係をふみにじったということだ。二つめは、教師として、クラスの子どもを指導する立場にありながら、子どものおこなおうとしている劇に、なんら指導をしなかった。そして、三つめ。あんた自身に、文学的教養がまるでないということ。テレビやマンガと文学作品の区別がつかない低級な批評眼しかもちあわせてないということだ。

p298

本文から新谷さんの台詞を引用してみたが、これだけでもちょっとは本作の魅力が伝わるだろうか。とにもかくにも責めているのは徹底して宅和先生のことであり、子供の責任を問う言葉は一切ない。じゃあ彼らは子供たちのやった行為を問題視していないかというとまったくそんなことはない。

「子どものイメージをもつのはいいでしょう。しかし、そのイメージと、現実の子どものギャップに出あったとき、あんたは、たちまち逆上してしまう。今回の劇の台本をたのみにきたのは、うちのクラスの子です。あんたは、あの子の願いをきいて、台本を書いた、つまり、あんたは、現実の子どもを信頼したわけだ。

 ところがどっこい、子どもたちは、あんたをうらぎってしまった。あんたは、さっきから、わたしとの信頼関係ばかりいうが、じつはほんとうにうらぎったのは、あなたがつねづね童話でかたりかけようとしている子ども自身なんです。

 あんたは、それがわかっているから、だから、腹をたてとるんだ。しかも、うらぎっただけじゃない。あんたの作品をすてて、べつの作品を上演した。そのことが、ショックなんでしょう」

p306

今度は宅和先生の台詞を引用。「子供たちが新谷さんの信頼を裏切った」ことをはっきりと認識していることがわかる。彼らは子供たちに問題があることを知りながら、その責任を一切追求しない「パターナリスティックな甘やかし」を行っている。実際、劇中でハチベエが新谷さんに謝罪しようとしたときは、すでに宅和先生と新谷さんの間で問題のケリがついた後であり、まともな謝罪をする機会すらなく本作は終わってしまう。3人組をはじめとするクラスの面々は、物語上においてなんら裏切りへの報いを受けないし、責任を取らない。

 これだけ読むと作者の想定する大人としてのあるべき姿、責任の取り方を書いているだけのように感じてしまうかもしれない。ただ思い出してほしい。本作は児童書であり、主要読者は子供である。子供がしでかした過ちを、子供のあずかり知らぬところで大人たちが争って、子供のあずかり知らぬところで解決する。その様を子供に読ませているわけである。つまり「大人はあなたたちを対等に扱わず甘やかしているよ」というメッセージを子供に見せつけているのに等しい。こういった「子供を一人前に扱っていない」パターナリズムのありかたを児童文学で表現して見せるのは相当にチャレンジングではないだろうか。あるいはこんなに誠実で、子供を甘やかさない姿勢もないのではないか。残念ながら子供のころの私はそこまで深く考えず、宅和先生のヒロイックな活躍ばかりに目が行っていたと思うのだけれど、他の人が子供時代にどんな感想を持っていたのかが実に気になるところである。

 余談だが、本作を読んだ後に以下のインタビューをぜひ読んでほしい。大人の本と子どもの本の違いを問われて「セックスシーンを書かなくていい」くらいしか無いという作者の発言に大変な説得力を感じるはずだ。

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